「置かれた場所で咲きなさい」とは?それは危険な言葉にもなる

どうも!ブロガーのともっち(@gongondai)です!
『置かれた場所で咲きなさい』って本があります。
最近Kindle版で買って読みましたが、とてもいい本でした。人に優しく、自分にも優しくなれる本で、今ツライ時期を過ごしている人にはぜひ読んでほしいと思える本です
「置かれた場所で咲きなさい」って言葉は、普段の生活でも何度か耳にしたことがあります。先生から聞いたのか、先輩からだったか・・・はっきりとは覚えていませんが。
ただ、僕は「置かれた場所で咲きなさい」って聞くたびに、いつも”違和感”を覚えるのです。
本記事の目次 [内容をザックリと確認する]
置かれた場所で咲きなさいとは?
「咲くということは、仕方がないからあきらめるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。
(中略)
私は変わりました。そうだ。置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。
人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと決心することができました。
置かれた場所で咲きなさい
より引用
「置かれた場所で咲きなさい」を簡潔かつ雑に言い替えると、どんな環境でも、文句を言わずに、そこで最善を尽くしなさいということ。
仕事に捉えると、どんな企業や部署でも、そこがあなたの居場所。今いる組織と人間関係をポジティブに捉え、自分ができる最大限の貢献と成長をする。
こんな感じでしょうか?
いい言葉です。環境のせいにしないでいい部分に目を向ける。視座を変えてポジティブに生きる。
きっと、どんな環境でも咲こうとしている人は成果を出しますし、幸せだと思います。
ただ、置かれた場所で咲けない人がいるものまた事実。
そして、極限まで追い詰められた人や弱り切っている人に対して、「置かれた場所で咲きなさい」と言うのはあまりに酷なことです。
置かれた場所で咲けない人もいる
どんなに頑張っても、その環境で頑張れない人だっています。
どれだけ、ポジティブに捉えようと努力し、結果を出そうとしても出せない。そういう人だっているんです。
僕がそうでした。
つい最近ですが、大学の研究室時代はマジでしんどかった。
一生懸命自分に意義のあることだと言い聞かせて研究に取り組みましたが、僕には向いていませんでした。
研究室では、人間関係もストレスで、吐き気が止まらず、3日間くらい飯が食えなくなったこともあります。
きつい研究生活を通して、人には向くこと、不向きなことがあり、精神論ではどうにもならないことがあると痛感しました。
環境を変えずに無理することは自分を殺す
僕は体を壊しましたが、もっと苦しい人だっているはずです。
ひどい例は、過労死です。一時期、過労死のニュースが毎日テレビで放送されていました。
あれもきっと、亡くなられた方がキツイ環境から逃れられなかったからなのでしょう。
人間関係でも、仕事内容でも合う合わないがあります。
合わない環境にいつづけては、時に身を滅ぼします。
”鷹は水に入って芸なし”ということわざがありますね。
有能な人でも、その能力を発揮できる所にいなければ無力であるという意味になります。
「置かれた場所で咲きなさい」と言われても、必ずしも、あなたはその場所で咲く必要はありません。
逃げていい。環境を変えよう
僕からのメッセージです。
キツイなら逃げましょう。環境を変えましょう。
僕らにはたくさんの選択肢があるんです。
僕らには、自ら選ぶという権利があり、同時に、その選択は僕らの責任でもあります。
「選ばされる」のではなく、「選ぶんだ、作るんだ!」が責任ある選択でしょう。
いろんな働き方があるこの時代、思考停止して、選ばされるのはある意味無責任です。
一度の人生、自分の意志で生き方を決めてください。
生き方を選んでいくのは僕らの義務です。
さいごに
『置かれた場所で咲きなさい』は良書です。
今生きていることがツライ人にこそ読んでほしい。
でも、本記事で述べたように、自分なりの視点で読みすすめて欲しいですね。
ともっち(@gongondai)でした!
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ともっち